2016年2月2日火曜日

2/2の出来事 脱線して長文失礼

まずは昨夜の諸口の出来事から。中1数学は前回に続き中央値やヒストグラムの解説から。統計学の話ですが、非常に奥が深すぎて中学生には表面上のことしか教えられません。この応用が偏差値の話になるわけです。順番は前後しますが、火曜日は中1国語をしました。

新入生にありがちですが、集団授業を受け慣れていないことが気になります。勉強する=座って前を見る、ではありません。知らなかったことを知ったり、新たに理解が深まることを勉強だと思っています。もちろん、宿題が勉強だと思っていません。最近急増した新入生を見て本当に今まで塾に放置され続けてきたのだと思うケースが多いです。講師の話を(集中して)聞く習慣がなく、わからないことをメモする習慣もない。なぜ高校に行くのか、勉強するのかもよくわかっていない。自考力や自主性という言葉に換えて教育者としての責任放棄をした挙句、責任を子どもたちに転嫁するこの業界の風潮に辟易としています。

感情に任せて昨夜あった嫌な出来事を書きます。帰路の道中、コンビニに晩酌の素を求めていると、書籍コーナーで「アスペルガーの~」というタイトルの本を見て非常に興味をそそられ購入するつもりでパラ見をしました。アスペルガー(以下AS)の人の日常やその特性を漫画に描いていました。「アスペあるある」をアピールしたかったのでしょうが、極めて不快な気持ちになり棚に戻しました。本当に近しい人がそうなら、そんな着眼点では描けません。ASの人は闇の中にいて、心の中がいつも迷子です。そして「わからない」「人に嫌な思いをさせるなら人付き合いをしない」「親に叱られるのは嫌われている、要らない子なんだ」と物心ついたときから感じています。近しい人がそうなら常に多種多様な葛藤があるでしょう。愛情表現も上手ではなく、気遣いはできません。もう知らん!と思いながら見返りのない愛情を注ぐこともあるでしょう。当事者もパートナーも悩んでいるのです。

自分の人生の最後は研究者でいたいと思っています。おそらく発達障がいに携わり、現場を見る中で眼前の人に最大の感情移入をして、傷つきながら進み続けるのでしょう。優秀なお医者さんほど感情をコントロールでき、傷つかないように深入りしません。傷ついたとき次の患者さんへ冷静な判断ができなければ困るからです。

ASについて持論を書きます。本当はこれを論文にして発表したいのですが、その域にはデータとして未成熟で達していません。「冗談の通じない子」は冗談を冗談と「学習」していないからわからないのです。冗談をパターン化し、理解させ表情の読み方をタイプ別に解説すれば必ず理解できます。アスペ=冗談が通じない、確かにそうですがちゃんと毎回毎回冗談の仕組みを解説してあげれば必ず「成長」し確実に自分のものにします。ただし気が遠くなるような時間と労力は必要です。親以外がするのは本当に大変です。

未成熟な間はパートナーからの信頼を勘違いし、何をしても普遍だと信じて野生に負けて浮気することもあるでしょう(もちろん個性があり全員がそうなわけではありません)。協力者には独特の苦悩がありますが、解決方法をアドバイスできる研究者になりたいと思っています。そういえば、アメリカの論文で発表されていましたが、ASと病院で診断された人の9割は誤診だったそうです。でも、周囲の人にとってはASかどうか病的な診断はどうでもいいのです。どのように接すればいいのか、どうすれば思いが伝わるのかを知りたいわけです。机上の空論をかざす研究者ではなく、現場の人たちと個々人の個性を見ながら色んな場面でコミュニケーションを図れる潤滑油になりたいと思っています。