2016年9月2日金曜日

方針

最近、少々悩んでいることがあり、少し結論が出つつあるのでつれづれなるままに書こうと思います。

10年一昔と言いますが、ゆとり世代の次世代になり時代の変化を実感しています。まず、他人に無関心になりつつあるということです。他人のしていることに無関心で、自分が他人に対してどうお思われているのか無関心になりつつあると感じています。

果たして現場では2極分化が進んでいます。「自覚」がベースになり課題に対する認識が緩くなる子と、ごく一部の意識の高い子です。感覚的に8:2の割合でしょうか。ワンセでもその傾向は顕著です。例えば「宿題」と言えば全くやってこない子はほぼいません。手抜きや時間不足を感じることは多々ありますが…逆に「課題」として与えたことに対して手抜きする子が急増しています。小テストをしたときに満点ではなくマイナス2,3になることが多いのです。つまり、塾に来る直前に「パラ見」してきただけで満点を取る勉強をしてきていないのです。「間違えたらペナをすればいい」という意識になっています。

実は、私はペナルティを出すのが嫌いです。テストをした結果満点でなかったり、誰かに負けてしまったとき「悔しい」「もう一度すれば満点取れるのに(負けないのに)」といった思いやプライドが傷つけばいいと思っています。実際にはそんなことを思えるのはごく一部の子だけなので仕方なくペナルティという「見せ鞭(ムチ)」を用いているのですが、前述のように満点を取らなくては、という意識の低下につながっています。これは他人のしていることに無関心で、自分が他人にどう思われているのかを意識しなくなった結果の副作用だと思っています。

結果、子どもたちは物事を「がさつ」にするようになりました。悪い意味で大雑把な欧米化していいっているのでしょう。自己責任、自覚という名のもとに子どもたちに正面から向き合って「子育て」「教育」をする意識が教育現場からどんどん薄れていってしまっています。

考える力は非常に重要だという考えは大賛成です。でも、それに特化し勉強するのどうかを自己責任で任せるという欧米式には疑問です。宿題を出してもやるのかどうかは本人任せというのが欧米の発想ですが、一部の上位層には極めて有効的な反面、多くの脱落者を出すシステムです。日本は識字率(文字を読める人口割合で基礎学力の定着率の高さの目安になる国際的な基準)がアメリカ、イギリス、スイスよりも高く、落ちこぼれを出しにくい「すくい上げる教育」を実施しているというメリットがなくなる可能性があるのです。

親以外は子育てから排除する風潮も影響していると思います。つかず離れずの上手な距離を取るのが良いという風潮です。これって単に自分の言動の責任から逃げているだけだと思っています。基本学力の定着には多大な労力が必要です。小1でひらがなの読み書きが怪しければ親が必死になって教えると思います。それが自分への評価であるように感じたこともあるかもしれません。私は、ワンセを教育だと思っているので勉強の定着から自己責任という言い訳のことばで逃げたくありません。塾として最大限の努力をしたうえで、他のご家庭にご迷惑になる状況が発生したら諦めます。その手段として叱るケースを減らし「呼び出し補習」をするのが今のファーストベターなのかという仮結論になりました。子育ては難しいですね。