2017年1月5日木曜日

1/4新年のつれづれ

明日からの冬期後半に向けて中受のTNが主役。年末から入試に備えて毎日算国社を1本ずつ解き続けています。彼女の凄いのは集中力の持続時間。3時間ほど連続して休憩なしで解き続けても衰えないのです。中3にも負けません。果たして、目標だった7割超えもほぼ達成。6年生になってからのチャレンジで青写真通りに成長を続けています。

中3はマイケル、緑AH、鯰江NE、横堤MM紅一点で緑MKが一心不乱に勉強していました。その姿勢にお年玉をサプライズプレゼントしました。ところで、あと1か月したら私立高校入試。明日から再び勉強モード突入です。ただ、今日の過去問を結果をみると勉強勘がかなり鈍っているようで非常に心配です。ということで、ここからsay to oneself

冬期講習前という時期から受験生に最も厳しく接したのは初めてです。不合格の大半はミスなどによる実力を発揮できなかったときに起こっています。練習である塾の過去問演習でミスを連発して、本番では実力を発揮できたというケースを知りません。だからこそ厳しくなります。すると過去最高の得点になったりミスが減ったりしました。とても悲しい気分になります。例年なら単純にできることを増やすのに尽力している時期に緊張感を持って解くプレッシャーをかけなければいけないこと。結果、望まないピリピリムードになること。

かつて怖い先生と呼ばれていた人の大半が時代を理由に諦めています。換言すると見捨てているということ。自覚もあるらしいです。子どもたちに厳しく接しても先生に見返りのない時代。子どもたちに疎まれ、叱られたことを尾ひれ背ひれつけて話され、教育委員会にあらぬ疑いをかけられ真面目な指導をしたいという情熱に冷水を浴びせかけられる時代。

ただ、不合格通知は誰もが幸せになりません。そうならないために全力でできることをします。過程で強引な指導をしようとも嫌われ役になっても全然構いません。でも、後継者を育てようと思ったときにこのスタイルを引き継ぐのは不可能に近いと思うのです。なぜなら、子どもたちに自分の人生をかけて愛情をかけて真正面から取り組み、勉強から逃げる子を全力で振り向かせ、勉強する意義を説ける人はいないからです。

ややもすると自己責任という便利な言葉で生徒指導から逃げる時代。できる子だけを伸ばす塾がもてはやされる時代。正直、意識の高い子に勉強だけ教えるのは非常に楽です。歴代の学年トップになった子は勉強以外の部分をかなり指導されています。塾にそんなことを望まない人はウチを選ばないでしょう。私は子育てのお手伝いの一環として塾をしています。

正論で議論するなら、塾は勉強だけ教えればいい。でも、私は「子どもがしてはいけないことをしたなら、気づいた大人が注意すればいい」と思うのです。子育てにおける親の物差しや私の物差しが常に正しい訳がありません。だからこそ、子どもが取捨選択できる知識を一つでも増やしてあげたいと思います。私の持論は、愛情が根底にあって正しく子どもに伝えているなら小さいことを気にすることはないということです。

自分の人生の中でかける言葉を間違えたかもしれないと悶々としている子がたくさんいます。言葉かけに模範解答なんてありません。その時々の背景で変わるのでマニュアル化もできません。数年経って、彼らが大人になったとき「中学生のときのあの言葉はどう思っているのか」「実はずっと反省とその後の影響を知りたいと思っていた」旨を伝えられる機会があり伝えてみると100%の確率で笑い話か忘れています。それでも私の中の心のつかえが一つ取れ、晴れ間が広がります。同時に卒業して数年経っても会話できる嬉しさに浸れます。

正月早々、数年来音沙汰のなかった卒業生とのやりとりから様々なことを考えさせられました。