2017年3月28日火曜日

課題

 3/28(火)私用にて横浜に向かう新幹線の中でこのブログを打っております。何だかビジネスマンになった気分です。いや、ビジネスマンの方に失礼ですね。隣でずっとノートPCで仕事をしていた方が名古屋に向かわれる商社マンで、楽しく雑談しました。

 まずは授業外の出来事。昨日、授業後に緊急講師ミーティングを行った件から。今年は鳴海が卒業し、新たな講師が増えました。牧野は半年にも及ぶ研修期間の長さにも関わらず、音を上げず正式な教壇に立ちました。彼らは一様に高スペックです。自分の勉強の努力を継続中です。得てして、優秀な人は自分を子どもたちに投影し、一度言えば伝わっていると錯覚します。それは大きな間違いで、自分の意志を持って勉強できる子は一握りです。

 先生業の中で最も難しいことは「歩留まり」を上げること。つまり勉強の定着率を上げることです。これは指導側にかなり根気が必要で、映像授業やマニュアル化することは不可能です。ミーティングにて「Aさんはワンセタイムで-5問でした。B君は-10問でした。B君の不勉強が気掛かりです」という旨の発言がありました。ごく普通の会話でしょうか。ここに大きな課題があります。それは生徒個人をしっかり見ていない可能性があるということです。大切なのは勉強の過程を把握しての判断したのかという点です。B君は暗記が非常に苦手だけれど、2時間割いて勉強した、Aさんは暗記が速いのに手抜きして10分程度しか勉強しなかった。注意されるべきはAさんで、B君は褒めらるべきなのです。上辺だけで判断するのは早計です。

 私はお預かりしている全員の能力をある程度、少なくとも模試のデータ以上に把握している自信があります。塾内小テストから学校のテストまで問題を見れば点数はおおよそわかります。その想定内から上か下かでみんなの頑張りを推し量って言葉かけするようにしています。点数だけで個人の頑張りは絶対に評価できません。頑張った結果が点数に反映されずに落ち込んでいるとき「あかんやん」と言ってしまえばモチベーションは下がるでしょう。

 ちなみに、私が気になるのは逆のケースです。成績学校トップクラスの子がさほど努力せずに結果だけ良い時です。「点数が努力の結果」で「点数の悪い子は努力していない子」と判断するからです。言い換えれば、点数が高い、それだけで自分は良い子だと錯覚してしまいがちです。点数だけで大人や周りから褒められることは決して良いことだと思いません。私が講師人生の中で最も厳しく接したのは定期テストで4連続500点取ってきた子です。成績さえよければどんな素行でも許されると思っていることが非常に気になっていたのです。学年トップクラスの子ほど、勉強以外の課題を感じることが多いです。

 学生講師だからといって免罪符になりません。今までそういったことを意識しなかった環境にいただけです。それでも優秀な彼らには私の本心は伝わったと信じています。あ、深夜ミーティングルームはしっかりと割増賃金で支給されています。ブラック企業ではありませんので笑