2019年3月25日月曜日

イチロー&水谷隼におもう

 ほぼ同世代なので松井氏・イチロー氏に感じるものは多々あります。今年は巨人の開幕戦が東京ドームでないので、代わりに3/21の東京ドームに観戦。日本で最後の試合になるとは思っていましたし、結果として引退試合になるかもとも思っていました。ライト外野のほぼ最前列という良席を確保し開門前に到着。長嶋氏・松井氏の国民栄誉賞のとき並の人混みでした。私はバッティング練習とキャッチボール・守備練習を見るのが好きなので、凝視していました。バッティング練習ではあまりタイミングが合わず、最終打席のみ特大ホームランで締めていました。キャッチボールでは肩の衰えを実感。試合ではハードコンタクトできない寂しさを痛感。それでもホームランを狙った打席は万感の思いで応援していました。

 また、卓球の水谷が目の衰えを告白し、張本戦はほとんど見えていないことも暴露していました。とても勇気のいる発言だと思うと同時に先日の試合の内容が腑に落ちました。実力差に圧倒されているというイメージに近いのですが、ミスが多く、それを極端に気にしている様子が印象的でした。

 私も動体視力の衰えを痛感し、それを絶対に認めたくない気持ちと戦っています。バッティングセンターに行って140kmのボールを捉えたと思ってもずれる。もっと屈辱的なのは卓球をして、確実に打ち返したと思う相手のスマッシュが返せない。それらの理由で野球も卓球も遠ざかっています。できない自分が嫌で背を向けました。

 イチロー氏も鈍った感覚を取り戻すためのトレーニングを並々ならぬレベルでしてきたのでしょう。掲示板で「イチローは目が衰えた」と軽々しく書いているのをみて「お前に何がわかる」と突っ込んでいました。本人が一番わかっていることを絶対に認めず、努力している姿しか想像できません。今までできたことができない悔しさ・抵抗・努力。それでも出ない結果。イチロー氏に自分を投影していました。阪急ブレーブスからオリックスに変わる頃に2軍の練習を観に行きました。ボール拾いやなどを手伝い、選手のおやつであるパンや練習球・折れたバットをもらったのは良い思い出です。トップアスリートが衰えに抗いながら長年前代未聞のトップを走ったことにモチベーションをもらいました。

 私は塾講師なので動体視力が衰えても授業のパフォーマンスには影響しません。でも、間違いなくその他諸々の衰えは感じ、ベストパフォーマンスはできないことを知っています。それを経験と知識で補っているのです。

 アスリートには引退があるように私もいつか「先生」を引退しなくてはいけないと思っています。その時期は明確に決めています。子どもを叱らなくてはいけない状況になったとき、手が縮こまって叱れなくなったときです。ブログでは衰えについて言及しましたが、リアルでは全く認めるつもりはありません。経年劣化を感じさせないパフォーマンスを提供できるよう精進し続けます。業界オタク・ストイックと言われても彼らには微塵も敵いません。狭小な業界ですが、誰よりも精進と自己練磨を継続しなくてはいけない、改めて感じさせられるイチロー氏の引退でした。