2020年3月14日土曜日

日本を憂う

 1億総中流と言われた昭和後半から終身雇用、年功序列賃金制度が崩壊した平成後半、そして令和時代。賃金格差・学歴格差の広がりが顕著です。様々なことが欧米化していっているように感じます。何でも裁判するところや他人に無関心なところ、子育ての責任を全て家庭に押し付け教育に責任を持たない社会。

 そんな中でも教育格差の広がりに非常に強い危機感を覚えます。お子さま主義になり、子どもに厳しく接する人は家族以外居なくなりつつあります。子どもは大人の本気を見抜くので、自分に真剣に接してくれない大人の言うことを本気で聞きません。果たして、醒めた子や、一見聞き分けはいいけど年齢相応の成長が伴っていない子が急増しています。

 それでもお子さま主義なので誰からも注意されず大人になる子たち。彼らが成長し、社会人になったとき、この人と仕事をしたい、任せたいと思える人になって欲しいと心底願っています。この子なら大丈夫と思う子が減り、案じられる子が年々微増しています。何よりは昔のヤンチャな子たちとは異なり、問題を起こさず成績も平均点だと課題を感じることが親子共にない場合もあります。

 ところで、私は例年中学生に最後の宿題を出します。学生の間にこれだけは絶対に負けないと胸を張って言える何かを見つけること。「友だちが誰よりも多い」「地道な努力を継続してできる」「一つのことに長期間夢中になれる」何でもいいからそれを見つけて磨いて欲しいです。

 勉強と仕事は個性というフィルターを通すと結果や周りに与える印象が似ていると思います。「時間にルーズ」「ミスが多い」「約束・締切を守れない」「要領が悪い」勉強だと問題は発生しませんが仕事だとそうはいきません。仕事は当然大変です。周りが10分で覚えられる英単語を1時間かかって覚えられたら褒められます。でも10分で出来る仕事を何回たっても1時間かかれば迷惑になることもあります。そして、同じミスでもその人の個性や普段の姿勢で相手の受け止め方は大きく異なります。

 課題を感じる人の子ども時代の特徴は過度なマイペースだったり周りを全然見ないこと。そんな子どもを見ると、何とかしなくてはいけないという強い衝動に駆り立てられます。根本的なことや性格的なことの場合は軽く指摘しただけでは通じません。ストレスになっても伝えたい、と思うこともあります。

 ただ、このご時世でそんなことは流行りではありません。それをどこまで踏み込むか。自問自答はずっと続いています。「わかってる。でも、今はまだ出来ないから」と自分と向き合わず楽な方に行こうする子にどう伝えていくのか。

 私の仕事を知らない人と話すと「塾は勉強だけ教えるところ」「塾の先生なんて子どものことをそんなに見ていない」と言われることがしばしばあります。曖昧な相槌を打つだけです。私は授業前後の雑談を通じて子どもたちの現況を知ろうとしています。ご家族の次に子どもたちの近況を知っていたいと思っています。色々な成長をしてもらいたい。将来、友人たちの輪の中心で笑っていて欲しい。信頼される人になって欲しい。そんな思いとは裏腹に危機感を覚える現状が今の日本にあります。