大阪桐蔭は起死回生を狙ったエクシードクラスの第一期生が卒業し、東京阪神への合格率では推定大阪トップになりました。そんな大阪桐蔭の無常観について。
旧大阪産業大学附属大東校舎のとき、偏差値40前後で第二次ベビーブームでピークで生徒集めに困らず左団扇(ひだりうちわ)でも、あぐらをかいていても教室が足りないほどの時代です。教員の年収も今よりはるかに高かったです。そんな時代が永遠に続くと無意識に夢見ているのが普通なほどバブルでした。いち早く、少子化を予測し、男子校から共学化、それに備えて野球部を創設し甲子園で初優勝して一気に知名度が爆上がり、ミーハーな(死語)女子高生が集まりました。同時に平日夜遅くまで強制的に勉強させ、入口の偏差値からはあり得ない程の合格実績を出し続けました。特色を出して選ばれる高校創りのパイオニアですね。
ただ、経営については度々マスコミを賑わせました。「塾接待に100万円バッグ」「模試費用の流用」「大阪産業大学を大阪桐蔭生は全員受験」などは、大きく報じられた代名詞でしょう。体質はかなりブラックですが、対生徒に関しては真剣な時期、手抜き時期、クラスによって対応が大きく異なる時期があります。高校部門ではⅠ類Ⅱ類の生徒が全然集まらず、大半の生徒がⅢ類という状況になっていました。
好文学園女子は旧大阪福島女子で、昭和の末期から大きく変わった学校です。福女時代から生活指導面で推しの高校の一つでした。偏差値は30少しだったので、偏差値70前後の高校と同じベクトルでは考えていません。一番の目安は退学率です。当時、退学率3%前後が平均で偏差値に反比例していましたので、退学率が3%未満なら良い高校です。生徒指導に力を入れ、学校が落ち着いてからは新たな学科を増やし、学力も向上しました。何より、学科毎の特色が明確で、お預けした卒業生を例外なく伸ばしてくれました。これは大きなポイントです。全盛期の大阪国際大和田もそうでした。
勢いが衰えていくと、例外が出始めます。件の大阪国際大和田では特待生レベルを専願でお預けしても結果が出ない子が数年続きました。合格実績が良くなり、学校の先生方が予備校に行かなくても大丈夫!と言い続け、予備校に通った子の合格率が高く、そうでない子の合格率が低迷しました。何度も「予備校なしで大丈夫」と言わないで欲しい、旨を伝え通塾率が上がり合格率も上昇して落ち着いたところで合併と新校舎移転で人気を博します。それでも勢いは止まり、安定して良い高校になりました。
好文学園女子はどうなるのでしょう。校長一人のマンパワーでは目の行き届く限界を感じた今年。授業見学はしておりません。期待値は高いものの、盛者必衰になるのか、不死鳥の如く羽ばたくのか、非常に注目しています。