2017年11月29日水曜日

きれいごと

 「きれいごとで塾をやっていきたい」開業時に恩師にそう言ったことを鮮明に思い出しました。恩師は「お金を稼いでから言え」という至極もっともな応えをくれました。でも、考えは変わりませんでした。きれいごとで世の中渡って行きたい、そう思いつつ現在に至ります。17年目を迎えて、まだやっていけているということは世間様から否定されていないということだと勝手に解釈しています。

 経営者でありながら、損得勘定はしていません。自分のしていることが正しければ世間で評価され、大好きな教育業に身を置ける、評価されなければスパッと諦める、そう決めています。

 子ども好き、教えるのは大好き、ただ、教育者を名乗るのだから先生にふさわしい努力を恒久に続けなくてはいけないと思っています。いつまでも自分の先生としての背中は美しく、知識量ではいつまでもみんなの高い壁として存在したい、そう考えています。

 相変わらず、不躾なことは許せません。挨拶をきちんとできないワンセルフの子は注意します。レストランで走る他人の子も注意します。そして、怖い顔して、お行儀悪いことをしたら親が恥をかく、と諭します。列に横入りする外国人にも注意します。笑顔で「バッドマナー」と言います。逆切れは怖いですが、それを恐れて手が縮こまる自分はもっと怖いです。私のアイデンティティ(存在価値)がなくなります。

 卒業生のご家庭では「そんなんやったら龍神先生はこういう」という会話が交わされる中で、変わらぬ龍神先生でありたい。かつての卒業生がいつ来ても変わらぬ龍神先生でいたい、そう思っています。

 外部の方に見やすい月謝はホムペやチラシで比較すると大手よりちょっと安く個人塾の中ではちょっと高い金額設定にしてあります。それでも選んで、信じて預けていただけるなら全力でその信頼に応えようと思います。補習は講師がしたいときに気兼ねなくできるよう無料です。もちろん講師には手当があります。月謝が安いと思ったことはありませんが、信じてお預けいただいた親御様に高くなかったと言っていただけるよう精進しなくてはいけない、そう思っています。

 思春期独特の様々な要因で集団から浮く子には成長をして周りが見える人になって欲しいので手厳しく伝えます。でも、このご時世でそんなことは流行らないのかもしれません。変われる部分は時流によって変わり、変わってはいけない根幹は変わらないよう精進しようと改めて戒めています。