2019年1月18日金曜日

添削

 毎年、かなりの添削をしています。受験生に渡した原稿用紙は1人数十枚。その全てを全員が書ききります。それを公立高校の受験校別に添削します。採点基準は高校毎に全く異なり、それを把握して添削・指導するわけです。C問題の導入年や前期文理学科の小論文は事前データがないので大変でした。例えば、縦書きか横書きかすらわからなかったのすです。では、どのように対応するのか。全パターン書いて「数打ちゃ当たる」方式です。小論文でも作文でも記述でもオールマイティに仕上げました。また、一言で学校毎で異なる採点基準と言っても把握するのは労力がいります。
 
 それを多忙な中学校の先生ができるわけありません。小論文の書き方など大学でも習いませんから。でも、ワンセは、私はできなくてはいけないと思っています。添削は経験がものを言います。国家総合やAO対策の小論文から中・高向けの添削まで、かなりの量を毎年こなすことにより、点数をつけられるのです。美しい文章を見ないと添削はできません。

 過日、某大手塾や添削を生業としている塾の生徒が書いた文章を見ました。その生徒は本当に基本ができていなくて、私が採点すると20点満点で3点未満なのに某大手通信教育のコメントをマニュアル化した褒め言葉だらけ。それでいて、減点箇所の指摘が全くありません。10本書いても全く上達していないのです。生徒も先生も時間の無駄をしていると思いました。

 また、某大手塾国語講師は「○○学校の(小論文の書き方)はわからない」と平気で言います。それでも肩書きは国語科の偉いさん。そりゃ生徒が上手く書けるわけないですよね。指導者が書き方を知らないのですから。ネイティヴに皮肉られる日本人英語教師と同じです。それでいて添削料金として高い費用が発生しています。でも、点数化しないので本人も保護者も気づきませんよね。そし入試でも小論文のみの点数はわかりません。受験生の親心につけこんだ阿漕(あこぎ)な商売をしています。それでも知名度のある大手塾のやることだからという理由で費用を払う風潮も悪いと思います。

 添削は本当に労力が必要で、語彙力の不足している子たちに美しい文章を書かせるには莫大な時間が必要です。10本程度書いても点数が取れない子のほうが多いです。10本でだめなら書けるようになるまで書かせる。涙を流すことがあっても妥協しません。不合格で流す涙より全然マシです。

 と言ったからかには今年もこれから少しずつ書く量が増えます。1人平均40本は確実に超えるでしょう。そして、机の上に溜まった原稿用紙を見て「余計なことを言ってしまった…」と毎年のように後悔しつつ、ペンを走らせている自分が容易に想像できます。あ、毎年書くことが多いので「冗長」「不要」「具体的に」「意味不明」「再提出」というシャチハタの印鑑を作っています笑 例年より早く印鑑が活躍しています。