2024年1月25日木曜日

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 最近の若者は文末に読点「。」を打たないのが流行り。そんなことはかなり前から知っています。20代は絵文字抜きの句読点あり。30代は混合。40代以上は絵文字大好き。顔文字は20代中盤未満はあまり使わない。 ジェネレーションギャップは常に意識しています。地域性も然り。

 でも、新聞の社説やお堅い系のメディアでも取り上げられるのが非常に違和感。違和感の正体は、年長者が若者に擦り寄る論調なことに起因しています。句読点のありなしや絵文字は世代によって受け止め方が非常に異なります。どうして、若者世代は句読点ナシを他の世代にも無意識に求めるのでしょう。どうして、年長者だけが若者に寄り添って、若者は年長者に合わせなくても良しとする文化になってきたのでしょう。

 私は、相手によって使い分けつつ、どう感じるのかは強く意識しないといけないと考えています。10代の若者が30代とDMやLINEをするとき、句読点なしだとどう感じるのか考えなくても許される風潮になっています。いつまでZ世代ともてはやし、物差しの基準を若者に全振りすることに強い違和感を覚えるのです。

 欧米は自己責任の考え方が定着し、自分の言動の責は全て自分が負うことという文化です。日本の子育てはお子さま主義で無責任なのに自由を与えることが最近の流行りです。自己肯定感や(年長だけが若者に)寄り添う、自分で考えて行動する(でも責任は取らない)等々。親にだけ子育ての責任を負わせるから子育てが罰ゲームのような論調の偏った考え方が増えているのです。親ガチャというネットスラングが定着しつつあります。

 そんな日本の風潮に違和感しかありません。子育てを揶揄し、子育てから逃げ、他人に無関心を是とする風潮にもです。若者だから年長者に傍若無人なふるまいをしても良いわけでありません。ただ、子どもに指摘する人や機会が激減しているのです。教壇に立っている限り見て見ぬ振りをせず、自分の良心に従って指導できる大人でありたいです。温かく見守りつつNo Means Noです。