2023年10月6日金曜日

物足りなさから感じること

 昨日のブログで「物足りなさを感じる」と書いたことへの反応があったので、その詳細について書きます。近年、気持ち悪いほど「寄り添う」という言葉を聞きます。それってただの甘やかしで、我慢できる人は我慢をし、そうでない人は傍若無人にふるまうことを許容することを強要している社会になっている怖さを感じています。

 例えば、子どもに寄り添って言うことを全て肯定的に捉えることが本当に良い結果につながるのでしょうか。親以外の大人は責任を取らなくていいので軽く考えられるから「寄り添う」が流行しているのでしょう。

 以前、スタッフ紹介で特殊能力について触れていました。私の特殊能力は、少し(1回)見れば勉強の課題がわかることと、教えていれば覚醒期(成長期)がわかることです。殊に覚醒期は人生の間でもくるかこないかという確率なので、前兆を感じると絶対にこの時期を逃していはいけないという気持ちになります。時に厳しい要求をするのは正にこれが理由です。

 今の高1の子に厳しく接した最後の学年だと伝えました。今は、他の子の迷惑になることには厳しく、自分のことだけなら以前ほどには伝えていません。少し気になったら授業前後に個別で話しています。 果たして、自分に甘くなる子が増えました。提出物の締切や内容が疎かになる子が2.3割います。換言すると、7割以上はきちんとできているのですが、性分なのできちんと出来ていない子が気になります。

 私は、彼らが社会に出たときのことが非常に案じられます。勉強≒仕事とすると、任されたものを少ししただけでやりましたアピールする人や、ミスが多い人、もっと単純な、時間を守れない人、息を吸うように嘘をつく人は学生時代に癖になっているので、並大抵の努力では改善されません。そうならないように当たり前のことを当たり前にできる習慣を中学卒業までに身につけて欲しいと真剣に思っています。

 だからこそ、基本的な習慣が身についていないことには口うるさかったです。少しずつ諫言を減らした結果、甘くなった子たち。一緒に働きたいと思われない、就活で選ばれないだろう子が増えています。 与えられた課題に対してどれだけ真摯に取り組めたのかが肝要で、手抜きをすると今は何もなくとも将来困ります。就活が上手にいった卒業生は想像通りの子たちが多いです。とはいうものの、周囲との比較で言えばまだまだ小うるさい塾です。

 身近な大人が本気で熱く接しないと子どもに伝わらないのでしょう。個別で見ていて、マイペースを認め過ぎて良い結果になったことがありません。'No Means No'「ダメなものはダメ」を私は心の中のキャッチフレーズにしています。時流がどう変わろうと、小学生になったら親以外の大人に注意される経験は大切だという考えは不変です。どうしても気になることがあって少し厳しい言葉で接した後、言葉のチョイスについてずっとモヤモヤすることが増えました。

 ただ、多くの高校の先生方と話す中で仮の結論が出ています。私は、嫌われることや鬱陶しく思われることに対して委縮することがありません。むしろ、自分だけがそう思われて誰かの成長につながるなら嬉しいことです。でも、トラウマになったり勉強そのものから嫌になったりすることは怖いです。ハラスメントに気をつけながら、必要以上に子どものご機嫌取りをせず気になったことはきちんと注意できる先生であり続けようと思っています。親以外に真剣に子育てに参加する大人が一人ぐらいいないと寂しいじゃないですか。