2017年7月10日月曜日

補習

 最初に酔っ払い宣言をします。

 塾業界がブラックだと言われており低賃金が問題視されています。ヤフコメに時折参加しますが、ブラック塾は生徒のために、を合言葉に講師に対して無給で補習や研修やミーティングをするとのこと。私は「生徒のために」を口にしていいのは経営者だけだと思っています。経営者(私)は子どもたちのために休日返上するのは当たり前だと思っています。補習には対価が発生しません。ただ、私以外の講師はもちろん既定の賃金が発生します。研修にもミーティングにも賃金発生は当たり前です。経営者が誰よりも労働時間が長いのは欧米では常識です。

 補習は各講師が子どもたちのためにしてあげたいと言えば止めることは基本的にありません。ただ、補習を子どもの都合で欠席したり約束を守らなければ次の補習の優先順位は下がります。講師も休日の自由時間を賃金が発生するとはいえ、高給ではない中せい成績上昇のために補習を実施しているわけです。これを私たちは「補習は愛情で出来ている」と言っています。偽りのない気持ちです。子どもたちも「自分のためにしてくれている」という気持ちから補習に対して前向きに取り組んでいるのだと解釈しています。

 今回、ブログを書くきっかけになったのは某塾のチラシを見たからです。トップ10への不合格率が2年連続で過半数、システムすらまともに把握しておらず、チラシ上でも自信満々に事実ではないことを書いている塾です。不思議なもので、活字になると何となく真実味を帯びます。大量チラシを出せる塾のものだから信憑性も上昇しているのかもしれません。

 何が印象に残ったのかというと欠席者補講をもれなく行うことをシステム化していること。保護者の方にすればありがたいことかもしれません。でも、講師は人間です。感情のないロボットではありません。もし、自分の授業をさぼった人間に補習をすることになったら気持ちを込めてできると思いますか?真剣に子どもと向かい合っている先生ほど無理ですし、私はそれを強制することは絶対ありません。

 ワンセルフの補習は愛情で出来ていると言っています。愛情(補習)を拒み続けて講師が諦めて覚めてから、気まぐれで補習をお願いされたり、通常授業をさぼって補習を頼まれても気持ちを込めてできるわけありません。また、気持ちを込めて補習できないならしないほうがマシです。誰得状態ですよね。ちなみに、私はかなり諦めが悪い人間です。どうしようもないほど愛情を拒まれたら諦めますが、かなり最後まで粘ると思います。

 これから下半期は受験生の追い込みに空いている時間を割きます。私を困らせるほど勉強に燃える「面倒な子」が大好きです。ワンセにおいて「面倒くさい子」は最も誉め言葉です。そんな愛情は子どもたちの気持ちの応える形で芽生えるもの。当事者(子ども)にその気がないのに第3者(保護者)が望んだからといって愛情(補習)は与えられません。気持ちのない補習を講師に強制することもありません。ただし、やる気のない子を引っ張って行ったり最後まで諦めないのは講師の務めだとも思っています。それでも逃げ続ける子どもを逃がしてあげるのもみんなのためだと思います。