2016年2月22日月曜日

自己申告書、小論文

自己申告書や小論文の採点・選考をしたことがある人はどれぐらいいるのでしょうか。国語の先生は美しい言葉を使いこなし語彙力も非常に豊富です。でも、文学部の論文は型にはまらない自由度が極めて高いものです。そして、小論文を選考するケースはほとんどなく、選ばれるものを知らないことも多々あります。

地元中学で小論文対策のとき「書き方が大人びているからこどもらしく書きなさい」「言葉が難しいから易しくしなさい」という指導をしていることがあり、非常に驚いていました。今回の大阪府入試における自己申告書の扱いを現場の先生はあまりご存じないかもしれません。前回のブログで若干ぼかして書いたのは、ウチの子たちだけが有利になれば良いと思ったからです。

中学校とは陰と陽の関係だと認識しており、私は表に出ることを好みません。表の世界に憧れはあります。自己申告書の添削内容を見て、中学校の先生方の甚大な労力が推し量れます。それでも子どもたちの将来に大きく影響するので僭越ながら持論を展開します。

今回、非常に珍しく大阪府教育委員会より高校の校長にボーダーゾーンの子たちの扱いについて厳しいお達しが出ており、数値も明文化されています(これ以上は書けません。個人的に興味を覚えられた方は立場などを名乗っていただいたうえでメールしてください)ワンセにもボーダーに入りそうな子はいます。そんな子たちを自己申告書で選んでもらうには100人に1人以上の秀逸なものが必要です。

美しい型、無難に万人受けする自己申告書が上位校で選ばれることは絶対にありません。美しい型や無難な文章は最上位校レベルの子たちなら普通に書きます。そして、そんなものは5行読んだら心の中で捨てます。それが95%あるのです。他府県のように中学校までの経験をアピールするのは得策でありません。繰り返しになりますが「100人に1人」に選ばれなくてはいけないのです。自己申告書はエントリーシートのようなもので、書類選考で最初のふるいにかけるのが一般的ですが、大阪府は「極めて合致する」ものだけを選ぶのです。

文系の先生は一般的に自分以外の型を認めたがりません。自分の解答が最優秀であるというプライドがあります。対して理系は違い、美しい解法を見聞すれば、たとえ生徒であっても素直に感動します。小論文や自己申告書で客観的な採点をするとき、その論についての是非は採点外です。学生が極めて正しい論をもっているなんて専門家は絶対思いません。オリジナリティや思考の筋道がどれだけ通っているかがポイントです。その内容はアドミッションポリシーに極めて合致するかどうかが肝要で、言葉遣いや単純な思考でどうにかなるものではありません。今回では国家公務員試験の小論文で最優秀になるレベルに近づけなければトップレベル校では選出されないでしょう。

ただ、中学校の現場の多忙さや本来の役割から各学校ごとのアドミッションポリーシーを熟読して上位1%になるものを創作するのは違うと思います。でも、私は違います。全員志望校に合格させられるための敗者復活戦を設けてもらったようなもので、個々に対応します。もちろん中学校の先生の指導は99%以上正しいですし、労力に対して強い敬意を表します。

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