2017年2月7日火曜日

怒ることの大切さ

 「怒る」=「叱る」どの辞書にもそう書かれてあります。いつからか「怒る」=怒りという感情を野生に任せて放出する、という意味で用いるようになりました。感情的に「ムカつく」ことを全面的に押し出すのはもちろんダメでしょう。

 私は新人講師時代「怒るための練習」をよくしました。真の怒りの感情があるときは怒ってはいけない。注意しなくてはいけない場面では、まず自分のアドレナリンを沸騰させる。そして、それを言動で表す練習です。素で怖い先生は自分の人生に自信がある人で羨ましいです。足立などがそうですね。私はそこまで聖人君主になれないので怖い先生を演じられるよう努めています。

 でも、最近他人を怒れる先生(人)は間違いなく急減しています。まともな精神の持ち主なら怒った後、自分の言動を振り返り適正だったかどうか、もっと良い言い回しがなかったかこっそり反省します。そして怒ったほうが自分にとってストレスだったと気づくのです。だから怒る先生が減ったというのはあるでしょう。怒るというのはその子に対して様々な責任を持って言動することだと私は思っています。

 例えば宿題忘れを誰かが私に報告したら、その瞬間に私のオーラは怒りで包まれています。子どもたちは絶対に見えています。無言でも空気が一瞬で重くなります。みんな(子どもたち)ならわかりますよね笑 1回目なら約束通り次から気をつけるようにという注意だけ。2回目は次は怒るよ、と予告。3回目は…このご時世なので「何に対して怒っているのか」説明します。そして周りの空気を悪くしたことを反省しなくてはいけないことを伝えます。

  ただ、大前提は必要でしょう。まずは深い愛情があること。そして、怒る勇気をもって一時的に嫌われることを恐れず、貫徹すること。途中で人気取りしては絶対にダメ。ぶれるのは何よりダメ。最近の20代までは嫌われることを極端に避けます。果たして他人との距離が希薄になり、他人の言動に対して怒りの感情が湧いてこないのです。すると子どもたちは怒られないからどんどん野生化していき、大人もストレスをかけないよう間違った気遣いをすることによってストレス耐性ができなくなります。

 怒らせるようなことはしない。「私は君のした宿題忘れに対して怒っている。様々な悪影響がある。だからもうそんなことをしてはいけない」これでいいいと思うのです。大切なのは怒る基準がぶれないこと。自分の機嫌によって左右されるのはご法度。怒られたら嫌だ、恥ずかしい、周りに申し訳ないetec…そのような感情が起こるから気をつける。それって当たり前だと思うのです。怒られたことのない子を見たことがありますが、将来は不安しかありません。大切なものを知らずに育ったのだと思います。愛情が根底にあり、それに自信があるなら子どもに感情をぶつけるは決して悪いことではないでしょう。