2018年1月23日火曜日

 多種多様な方々と会っていますが、経営者・営業職にある人はコスト意識が高いです。私も一応経営者の端くれですのでコスト意識は世間一般の人よりも高いつもりです。コストパフォーマンスの情報交換は非常に有意義に感じるのですが、一点だけ誰と話しても大きく異なる点があります。それはヒトに対する考えの違いです。

 多くの経営者は今を意識して労働改革に乗り出し、雇用者と労働者の関係で、より充実した労働環境を目指す。ヒトはお金で動くものだから、福利厚生や働きやすさが大切だ、と考えています。営業職は数値が何よりも大切ですからそれを追いかけます。それは世間の常識だと思います。

 ただ、私は「綺麗事で世の中を渡っていきたい」という思いから塾屋をしています。いつか、不徳の致すところで給料以上の働きをしてもらわなければいけないことが発生したとき「いざ鎌倉」の精神(昔の恩を今こそ返す)になってもらえるような関係を理想としています。例えば、残業や労働時間の申請は短めにする人ほど多めにつけます。また、計算ミスをする可能性もありますから「気持ち分の上積み」をするようにしています。それ以上に微力な私の支えでできることがるなら、できる範囲内でします。そのような情に対して情で応えてくれるような職場環境を理想としています。

 何かするとき、損得関係から動く人間関係を築きたくないのです。それが生徒であってもです。私は月謝(レギュラー授業)以上に子どもたちを見ている自信があります。新規の問い合わせがあっても授業を優先しているような状態です。補習やプリント作成で私のできる範囲内のことをするので、彼らも簡単なお掃除やお手伝いなど無償でしてくれます。それに対して深い感謝の気持ちはあります。でも、お礼にお菓子を渡すぐらいはありますが、報酬目当てではなく基本的にはお互いの気持ちで動いているのだと勝手に解釈しています。「先生が大変そうにしているから私のできる範囲でできることをしよう」そう思ってくれる子たちがいる嬉しさはあります。

 その全ての基本は「情」であり、それを端的に表す言葉が「ありがとう」と「ごめんなさい」だと思います。ヒトは失敗するもの。それに対して正直に接すれば、相手もそのような対応をしてくれる。それが私の教育者としての持論です。性善説で成り立ち、裏切られることもありますが、変わることはありません。教育に携わるものが「ヒトを見たら泥棒と思え」の精神で子どもたちに接するの悲しく寂しいじゃないですか。