2023年6月23日金曜日

優しさ

 チームワンセルフ①で書きましたが、優しさとは強さの裏側にあるものです。強さがない優しさは自分が傷つきたくないだけの弱さ、または責任逃れをしたい無責任です。その典型が「寄り添う」という言葉で子どもを肯定するだけの無責任アドバイスでしょう。

 令和の時代は、より一層他人に無関心な世の中になり、経済格差が拡大の一途のように感じます。巷で先生ブラックさについて論じられることが増えました。本当に今の先生は大変です。モンスターペアレントの無茶ぶりや、何でもかんでも学校に言うのはおかしいです。どうして、学校外の万引きや事件に対して時間外で応じるのでしょう。学校は文句を言えないから、それが普通だと思っていたからetc…。先生にそれだけのことを任せたいなら、それなりの対応を保護者もすべきだと思います。「してもらって当然」「重箱の隅を楊枝でほじくる」ような態度では先生のモチベーションは下がる一方です。
 
 翻ってワンセ。入塾時の説明で集団授業は補習が多いこと、それは先生の愛情でできていることを説明しています。愛情に一方通行はありえません。土日の休みを割いて教えに来てくれるのは義務感ではなく、みんなの成績を上げたいから。去年の成績と照らし合わせて担当の子がどうなっているのか講師全員が一喜一憂しています。補習をさぼったり、提出物を手抜きされることが続けば愛情は冷めます。ひいきをすることはありませんが、積極的に見ようという気持ちが薄れると気持ちが戻ることは至難の業です。

 優しさを一方的に甘受できるのは幼少期までの親の愛情ぐらいです。かつては親の愛は無限だと思っていましたが、子どもがあまりにも理不尽な言動を繰り返すと最後の緊張の糸が切れ、無関心になることを知りました。

 ー閑話休題ー

 新中学生になる彼らに伝えたことがあります。それは「新しい先生はやる気に満ちているが、経験不足ではある。どんな先生も嘘はつかないし、一生懸命に説明する。でも、言葉遣いが難しくて理解できなかったりすることはある。そんなときは聞けば必ず答えてくれるし、先生も反省する。良い先生は、良い教え子によって生まれる。君たちはそういう子だと信じて敢えて新人の先生を入れている」という内容です。子どもなので、時おり遊びたくなることもありますが、ずっと頑張っています。

 ある高校の先生が学校を改革したいとおっしゃったとき、そのためには先生を育てる生徒が必要だと言いました。頑張る先生に頑張る子どもがいないと、改革の速度は年単位で遅くなるとも伝えました。

 ワンセの子たちが伸び続けているのは歴代の卒業生の頑張りと、それを見てきた現役の子どもたち、講師でもある卒業生スタッフの愛情・優しさで成り立っています。こんな他人に上手に距離を取ることがよしとされる時代でも、大切にしたい根幹は失いたくありません。