2015年1月17日土曜日

1/17の出来事

20年前、未曽有の地震が兵庫県を中心にありました。当時私は大阪市鶴見区に住んでいましたが、2段ベッドの下で経験したことのない縦揺れに驚きしかありませんでした。その日は会社で定例会があったのですが、堺の自分の職場へバイクで出社する途中の道路もひび割れだらけ。帰宅後のニュースは目を覆うばかりの惨劇。高速道路や線路が曲がるとか誰も予想できません。それを証拠にその少し前にニューヨーク(うろ覚えです)で高速道路が崩壊し、日本では絶対にありえないと言っていたのが嘘のようです。地震の後に怖いのは津波と火災。その最も恐れていた火災が延々と続いていました。

それでも日本は国の威信を賭けてスピーディに復興させました。インフラの再開は早かったです。曲がった新幹線の線路はスピード復旧しましたが、道路が断裂していたので救援物資が届かないジレンマもありました。みんな自分の出来る範囲のボランティアをし、義捐金を募り様々な機関に寄付しました。災害ボランティアはこのとき生まれた造語だったと記憶しています。

現在、私は教壇に立つ一人として震災や戦後について得た知識をできる限り正しくみんなに伝えていかなくてはいけないと思っています。メディアはこぞって当時の映像を流していましたが大賛成です。


阪神淡路大震災に被災された人へ合掌…