2014年9月26日金曜日

面倒見

今日は四天王寺の説明会に行ってきました。面倒見の良さと女子高でありながら理系・医薬系への進学が強いことをアピールしておられました。…とても違和感を覚えたのは、同高の校風は自由なのに「面倒見の良さ」を推していたことです。例えば先生方はセンター試験や大学入試の日程を把握しておりませんし、受験するようにという言葉かけも積極的に行っていません。確かに結果は出ていますし、カリキュラムもしっかりしています。私なりの分析をするならば、自分の意志で勉強できる子が集まっているのでしょう。では、(成績的に行けたとして)自分の子がそういうタイプかどうか?もし違ったら…自分の意志で高校生のころに勉強できる子はどれぐらいいるのでしょう。目的意識を持って取り組める子は?

それが小中学生ならもっと勉強に対する自覚やモチベーションは低いでしょう。啓発系の話をしている後は本人任せ。カリキュラムを用意し、自分で出来る子は伸びるシステムを導入。これが「自称面倒見の良さ」の正体ではないでしょうか。親視線で考えたときに私はそれを面倒見が悪い学校(塾)だという認識を持っています。ウチでお預かりしている層は400点がボリュームゾーンで学校平均点で入塾されたら塾内では一番下からのスタートとなります。比較的意識が高い子が集まっていると思いますが、それでも自主的に勉強巣するこは全体の1割もいるのかどうかわかりません。

受験生で志望校が決まれば別ですが、それまで塾内テストや学校の定期テストがモチベーションになっている子が大半です。大手塾でも「ウチではカリキュラムをこれだけ用意しました。結果、大手前高校には○○名合格しています。(だから不勉強は子ども・家庭のせい)」そう言える環境を創って責任逃れしているようにしか思えません。

常日頃から一番大切なのは「ヒト」だと思っています。高校選びでも校舎・設備の豪華さではなく現場の先生方に情があるのかどうかを最優先にし、業者さんとのおつきあいも人間味がある誠実そうな人としているほどです。ウチの卒業生の半分は私立高校に通っていますが、私にとって高校選びにおける大きな課題はその学校でいじめが発生したとき、正面から取り組んでくれるのかどうかです。そういったことを後回しにしてお金をかけて体裁を繕う学校や団体は信用しません。

面倒見の良さとは諦めずに叱咤激励をすることで、親心として「ここまで見てもらって…」と思っていただけるケアをすることでしょう。